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今回の東日本大震災で一番心に響いた画像を貼るスレ【78枚】はてなブックマーク - 今回の東日本大震災で一番心に響いた画像を貼るスレ【78枚】

1 名無しさん@涙目です。(埼玉県) 2011/04/10(日) 22:41:14.13 ID:pBRwTFCl0

「津波」先人の警鐘生かされたか 東日本大震災

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大船渡市の吉浜湾は、ほかの三陸海岸の湾とは風景が異なる。
中心集落があるはずの湾奥部の低地には家屋がなく、水田が広がる。
中心となる集落の家屋約100世帯は海抜20~30メートル前後の県道沿いに並ぶ。
「吉浜では海辺の低地に家を建てないことが常識。
 親から言い伝えられて守った教訓というよりも常識なんだ」

消防団員の新沼公晴さん(47)は県道に立ち、双眼鏡で潮位を観測しながら何度も強調した。

今回の震災で、吉浜湾には10メートル前後の津波が襲来。
戦後に低地に建った民宿など2軒が流され、
海辺で作業をしていた男性1人が行方不明になった。
ただ、津波は集落深くには達せず、県道で止まった。

100年以上前、吉浜湾でも湾奥部の低地に中心集落があったが、
1896年の明治三陸大津波で壊滅。死者、行方不明者は200人を超えた。
当時の村長は高台へ家を再建するよう指示した。

柏崎村長の孫のナカさん(97)は今でも、祖父の話を覚えている。 
「おじいさんは『ただ呼び掛けるだけでは移住しない住民が必ずいて、また同じことが起きる。
 村が強引にでも移住させる方法を考えた』と、昔話を聞かせてくれた」


道沿いには高さ2.5メートルの巨大な石碑が立ち、明治三陸大津波の犠牲者の全氏名が彫られている。
津波の恐ろしさが住民の心に刻まれ続け、ほとんどの住民は今でも下通り周辺の高台に住む。

「おじいさんも苦労が少しは報われたと思っているはず」。ナカさんはそう語った。



http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110410t73039.htm



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